不本意な片山哲也の日常と妻の金言

片山哲也の半生は、他人から見れば比較的順風満帆なものでした。県下で有数の公立進学校を卒業後、国立大学の文学部に入学、学部を卒業後にそのまま修士課程に進みました。修士課程2年の際に出身県の教員採用試験に合格し、修了後は社会科の教員として働きました。その後、3年して教員生活に慣れた時期に大学生の時代から付き合っている相賀真奈美にプロポーズし結婚、その2年後には子宝にも恵まれました。

一方で、片山哲也には鬱屈とした想いがありました。それは研究に対する未練です。片山哲也は日本史を専攻していましたが、修士2年生の頃に発表した論文「戦国期西国大名の分国法と社殿造営」が学会で大変好評を博したという栄光に満ちた経験をしていました。しかし、学費面から博士課程への進学を断念していたのです。「教員になってからでも論文は書ける」、そう思って教員になって働くことを選んだのですが、実際教員の職務は多忙でそのような時間が許されることはありませんでした。もっと研究したい!論文を書きたい!という欲求を抱えつつも日々の職務に追われる、片山哲也は理想と実状の狭間で揺れ動いていました。
そのような内面を言い知れず感じ取っていたのが、妻の真奈美でした。彼女は長い付き合いゆえに分かるふとした表情から、現在の生活に納得できていない夫の心情を理解していました。そして、彼女自身もまた生活を大事にして欲しいという気持ちと、理想を追って欲しいという想いに揺れ動いていました。しかし、子供の育児に精励する夫の姿を見るたびに夫を応援したいという気持ちが強くなっていき、とある秋の夜、とうとう夫に切り出しました。「夢は等価じゃないけれども、私は結婚もして子供もできて夢をかなえることができました。今度はあなたが夢を追って」という提案に片山哲也は動揺します。これからお前たちと一緒に幸せに暮らすのも僕にとっての幸せだよと返す夫に妻はゆっくりと首を振り、「あなたが夢を追う姿が私にとっても幸せなのよ」と答えると、最早片山哲也に日常を取り繕う意味は無くなってしまいました。

この時の会話以降、片山哲也は教員としての仕事はそこそこに研究機関への転職を考えるようになります。そして出身大学への社会人入学が決まると教員を退職、妻に支えられながら1年で論文博士号を取得しました。その後は論文を発表しながらも就職浪人の日々が2年間あり、苦しい日々が続きましたが、3年目にして隣県の高等専門学校に准教授待遇での就職を決めることができたのです。
その後片山哲也は高専の教員として満足に満ちた教育と研究活動を続けつつも、常に妻に対する感謝を忘れず、30年間職務を全うするに至りました。

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